<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>red-ocean.org &#187; 映画</title>
	<atom:link href="http://red-ocean.org/re/category/zakki/cinema/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://red-ocean.org/re</link>
	<description>都市・写真・本・雑記などをお届けするサイトです</description>
	<lastBuildDate>Fri, 29 Jan 2010 17:40:37 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.9.1</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>らくだ日報2009.6.21</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2009/06/22/rakuda20090621/</link>
		<comments>http://red-ocean.org/re/2009/06/22/rakuda20090621/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 15:16:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[らくだ日報]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[美術・写真]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://red-ocean.org/re/?p=305</guid>
		<description><![CDATA[【2009.6.21】◆最近、八王子のことばかり書いているが、駅北口から、左ナナメに伸びる西放射線ユーロード（結構奇妙なネーミングセンスだよなぁといつも思うが）にある、はり猫というジャズ喫茶にはじめて足を踏み入れる。うら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>【2009.6.21】◆最近、八王子のことばかり書いているが、駅北口から、左ナナメに伸びる西放射線ユーロード（結構奇妙なネーミングセンスだよなぁといつも思うが）にある、はり猫というジャズ喫茶にはじめて足を踏み入れる。<span id="more-305"></span>うらぶれた天井裏の部室のような空間で、大音量で曲が流れていて、独特な雰囲気。入口付近に、別冊グラフィカという写真集シリーズが置かれていて、気になったものの、なんとなく買わずに帰ってきた。気になるシリーズ。<a href="http://www.graficamag.com/" target="_blank">http://www.graficamag.com/</a></p>
<p>◆（ここからなぜか、ですます調）先日、武蔵野美術大学図書館でやっている、「新国誠一の《具体詩》ー詩と美術のあいだに」に行ったのですが、その日はなんと、年に一度のオープンキャンパスの日。キャッキャと元気な高校生に混じり、入試のパンフレットとかがはいった手さげ袋をもらって、オープンキャンパス気分で学内をぶらぶらしちゃいました。で、なにやら全員当たるくじびきコーナーみたいなところで『ムサビ日記』（<a href="http://www.musabi.co.jp/books/163178/index.html" target="_blank">http://www.musabi.co.jp/books/163178/index.html</a>）という本をもらったのですが、これが、思いの外面白くて、さらっと読めちゃいました。美大生の日常が覗き見れちゃう、オムニバス形式っぽいブログ本で、「作品をつくらなきゃいけないのに、ネットばっかりやっててもうダメだ…」的な日記（いくつかあった）と、就職活動珍道中（？）みたいな話が記憶に残っています。生活と制作。生活と○○。どちらにどれだけ力をつぎこむか、というのは絶えない悩みなわけですが、特に美大生にとっては、それがはっきりと、くっきりと、作品という形ではねかえってくるのかなぁと思いました。美大、なんとも過酷でかつ面白そうなところですね。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://red-ocean.org/re/2009/06/22/rakuda20090621/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>『３月のライオン』と『三月のライオン』</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2008/03/11/lion/</link>
		<comments>http://red-ocean.org/re/2008/03/11/lion/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 11 Mar 2008 03:10:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[マンガ]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[都市・場所]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://red-ocean.org/re/?p=92</guid>
		<description><![CDATA[羽海野チカがヤングアニマルに連載している漫画、『３月のライオン』。
この一瞬意味不明ながら、魅力的なタイトルは、英語の諺に由来している。
&#8220;March comes in like a lion and goe [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://red-ocean.org/re/wp-content/uploads/2008/03/2008-03-11.jpg" rel='lytebox[lion]'><img class="alignright size-full wp-image-95" title="2008-03-11" src="http://red-ocean.org/re/wp-content/uploads/2008/03/2008-03-11.jpg" alt="2008-03-11" width="107" height="150" /></a>羽海野チカがヤングアニマルに連載している漫画、『３月のライオン』。</p>
<p>この一瞬意味不明ながら、魅力的なタイトルは、英語の諺に由来している。</p>
<p>&#8220;March comes in like a lion and goes out like a lamb.&#8221;――（意訳）３月はライオンのような嵐とともにやってきて子羊のように穏やかに去っていく。</p>
<p>西洋で生まれた言葉をそのまま日本の環境に当てはめて考えるのは間違いかもしれないが、なるほど日本の３月も、激しい強風とともに訪れ、春のような穏やかな陽気とともに去っていく。</p>
<p>＊</p>
<p>ところで、このフレーズを題名に使った作品が、もうひとつ存在している。矢崎仁司監督によって1992年に撮られた映画、『三月のライオン』である。</p>
<p><span id="more-92"></span>漫画『３月のライオン』と映画『三月のライオン』。</p>
<p>タイトルこそよく似ているが、両作品に直接的な関係はない。ストーリーも登場人物も、年代設定も、いずれも異なっている。</p>
<p>だが、２つの作品には、どこか似た感じのにおいが、漂っている。</p>
<p>＊</p>
<p>『３月のライオン』の桐山零と、『三月のライオン』のハルオ。</p>
<p>彼らはともに、鉄筋コンクリートのビルの、がらんとした部屋に住んでいる。部屋には家具も寝具もなく、まるで生活感が感じられない。彼らは、栄養のありそうな食事をほとんどとらないし、趣味はなく、娯楽に興じるわけでもない。零は過去の記憶を自ら亡くそうとしており、対するハルオは本当に記憶を喪失してしまっている。</p>
<p>ハルオと零。２人は互いに、都市の際みたいなぎりぎりの所で立ちつくしている。彼らの存在感は希薄で、ひとたび強い風が吹けば、都市の際から都市を囲む深い崖へと、落っこちていってしまいそうである。</p>
<p>両作品には、そんな“際”から見たときの都市の風景が、度々描かれているのだ。</p>
<p>＊</p>
<p>映画『三月のライオン』は、設定上、新宿から徒歩圏内のエリアを舞台にしているようだ。ハルオのすみかは、きっと東中野あたりにあって、ハルオと彼のたった一人の身寄りである妹は、新宿や中野付近の路地裏を、いつもいつもぶらぶらしている。妹が繁華街でパンツを履き替えるシーンがあるが、これは新宿の三越裏付近で撮られている。ときどき彼らは、駄菓子屋の老夫婦の家に遊びに行くが、その裏庭からは神田川が見えて、神田川の向こうには、新宿の高層ビルがそびえ立っている。ここはきっと、中野区の末広橋あたりだろう。</p>
<p>細かいロケ地を取り上げようとすれば、ほかにもいくつか判別できるところもある。ハルオの妹が橋の欄干に乗って、今にも落ちそうになりながら危なっかしく揺れ動くシーンは、北池袋の陸橋で撮られているみたいだし、ハルオが住んでいる線路上に建つ共同住宅は、きっと都営三田線の志村車庫上にある交通局住宅だろう。これらは映画自体の舞台設定とは無関係であるかもしれない。だが、いずれにしろ、この映画の多くのシーンが東京の西側で撮られており、その土地性が映画全体の雰囲気を良い意味で規定していると思う。</p>
<p>対する漫画『３月のライオン』は、隅田川の下流、佃島を舞台にしている。零の住むマンションの大きな窓からは、隅田川が見える。さらに、中央大橋や大川端リバーシティ、月島駅あたりの景色が、漫画中に度々登場する。零は高校生にしてプロの棋士で、千駄ヶ谷の将棋会館に通っているのだが、対局がある日だけは隅田川沿いに上流へとさかのぼって、両国あたりから総武線に乗るらしい。漫画は、映画とは逆のエリア、つまり東京の東側を舞台にして描かれている。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://red-ocean.org/re/2008/03/11/lion/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ぜんぶ、フィデルのせい？</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2008/03/05/fidel/</link>
		<comments>http://red-ocean.org/re/2008/03/05/fidel/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 04 Mar 2008 18:42:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[雑記]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://red-ocean.org/re/?p=115</guid>
		<description><![CDATA[恵比寿ガーデンシネマで、『ぜんぶ、フィデルのせい』という映画を見た。
＊
舞台は1970年のフランス。アンナという９歳の女の子が主人公の物語である。
アンナは弁護士の父親と、雑誌記者の母親のもと、伝統的な価値観を重視する [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>恵比寿ガーデンシネマで、『ぜんぶ、フィデルのせい』という映画を見た。<a href="http://red-ocean.org/re/wp-content/uploads/2009/05/2008-03-05.jpg" rel='lytebox[fidel]'><img class="alignright size-full wp-image-116" title="2008-03-05" src="http://red-ocean.org/re/wp-content/uploads/2009/05/2008-03-05.jpg" alt="2008-03-05" width="106" height="150" /></a></p>
<p>＊</p>
<p>舞台は1970年のフランス。アンナという９歳の女の子が主人公の物語である。</p>
<p>アンナは弁護士の父親と、雑誌記者の母親のもと、伝統的な価値観を重視する気風の中で育てられていた。ところが、両親が共産主義者へと転向して以来、生活が一変。庭付きの家からアパルトマンへ引っ越し、慣れ親しんできたベビーシッターとも別れることになってしまった。</p>
<p>それまでしつけられてきた価値観が、急にひっくりかえってしまった状況のなかで、戸惑いながらも育っていくアンナの姿が描かれる…といった感じのストーリーである。</p>
<p><span id="more-115"></span>ちなみにタイトルにあるフィデルとは、フィデル・カストロのことである。キューバ出身のベビーシッターから、「共産主義者＝フィデル・カストロ」と教え込まれたアンナが、一変した生活に嫌気がさしたときに口にしたセリフが、ままタイトルになっている（少なくとも邦訳上では）。</p>
<p>＊</p>
<p>ところで、この映画で気になったのは、主人公であるアンナのことよりも、むしろ彼女の両親のことである。</p>
<p>アンナの両親は、チリ訪問をきっかけに共産主義者に転向。チリの変革を支援するため、自宅の一室を活動場所にして、休日・夜間を問わず、積極的に運動を展開していく。しかし、そこまでして運動に力を注ぎこんでいるにも関わらず、彼らは時々、自信の無さそうな表情をする。</p>
<p>例えば、こんなシーンがある。“団結と人マネを混同してはいけない”とアンナを諭した父親は、逆にアンナから次のように聞き返される。「じゃあ父さんは、団結と人マネを混同していないの？」――問いかけられた父親は、なんだか困ったような表情をして、話をそらす。</p>
<p>もしかしたら父親は、心のどこかで、次のように感じていたのではないだろうか。</p>
<p>「社会的不平等は是正すべきだけれど、運動を積極的に展開すればするほど、家族と過ごす安息の日曜日がなくなるし、ましてや過激な行動をとりすぎて、社会的地位を完全に喪失するのも気にかかる。変革は成功して欲しいけれど、とはいえいつかは終わる日が来て欲しい。」</p>
<p>いささか拡大解釈が過ぎるかもしれない。とはいえいずれにしろ、この映画では、社会的地位を持つインテリジェンスな人々が、変革に参加するときの不安定な心理の一端が、有る程度的確に描かれていると思われる。賛同と戸惑いの混ぜ合わさったような、微妙な心境が。</p>
<p>＊</p>
<p>変革運動への参加と、家族関係の維持。この２つを同時に成立させようとする父親のプロジェクトは、“彼自身のための運動”であると同時に、“社会的なもののための運動”でもあった。そしてこの両義性は、決して否定されるべきものではないと思う。</p>
<p>この両義性、というよりもこの両立性を認められなければ、“社会的なもの”に関する思考や行動は、一部の人だけに許された、閉塞的で閉ざされた、特殊な事柄になってしまう。そしてもし、それを手放しに許してしまえば、私たちは、よりいっそう狭くて窮屈なところへ押し込められてしまうだろう。</p>
<p>これ以上狭いところへと押し込められないために、すべきこと。それは、少なくとも、ぜんぶフィデルのせいにすることでも、ぜんぶ誰かのせいにすることでもない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://red-ocean.org/re/2008/03/05/fidel/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>映画『初恋』</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2006/07/09/hatsukoi/</link>
		<comments>http://red-ocean.org/re/2006/07/09/hatsukoi/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 14:57:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://red-ocean.org/re/?p=142</guid>
		<description><![CDATA[話のつじつまがあっていないところはある。どうしてそうなったか、明かされていないところもある。けれどもこの映画は、当時まだ生まれていなかった私には未知の出来事であった３億円事件、ならびにそれが起きた時代の感情について多くの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="news">話のつじつまがあっていないところはある。どうしてそうなったか、明かされていないところもある。けれどもこの映画は、当時まだ生まれていなかった私には未知の出来事であった３億円事件、ならびにそれが起きた時代の感情について多くのことを伝えてくれる、魅力的な作品だった。精緻に組まれた現代のエンタテイメント的映像作品の物語展開から見れば、稚拙に思え、矛盾と感じられる部分もあるかもしれないが、この話がかつて実在した街、人、空気をモチーフとして ――いや、もしかしたらモチーフという以上にほとんどノンフィクションに近いものとして――描かれていると想起すれば、それはほとんど気にならない程度のものである。<span id="more-142"></span></p>
<p>60年代末、人間の内側の屈折や腐敗や混乱を形にしたような猥雑な路地が方々に存在した時代、人々はその思考や情感を、身体 的あるいは言語的に過剰なまでに表わそうとしていた。演説、シュプレヒコール、人いきれ、紫煙、音楽。街には五感を刺激する様々な事象があふれ、ひどく饒 舌であった一方、悲しみや挫折や閉塞やあきらめといった感情について、ひどく無口だった。過剰でいて過剰ではなく、饒舌にして無口。力強く語られる言葉の 裏には、決して語られない悲しさの領域が、静かに眠っていた。</p>
<p>この映画は、繊細にして触れてはいけない、その領域の記憶をあぶり出し、語 ろうとしていた作品であった。けれど、それでもなお本当に触れてはいけない静寂な部分については、決して語られていない。その当時その場所に居合わせた当 事者しか知らない、決して語られることのない記憶に、私たちが触れることは許されないのだ。話の矛盾と感じられる部分は、そんな極めて繊細な部分が存在す るせいなのであろう。</p>
<p>映画の最後、元ちとせの歌「青のレクイエム」が流れ始めたところで、70年前後を模した新宿大ガードの絵が、現在の 新宿大ガードの絵に静かに置きかえられるシーンがある。そのとき、時間という隔たりを乗り越えて、彼らと現在に生きる私たちは、新宿という場所の介在に よって密やかに接続される。その日、満員の新宿武蔵野館でこの映画を見られたことは、とても幸せなことだった。そこはすこしだけ、主人公の“みすず”たち が芝居を見ていた小劇場に似ていたような気がしたからだ。</p>
<p><!--	記事フッタ開始	--></p>
<p class="newsFoot"><a href="../../junction/index.php?ID=9">公式サイト</a><a href="http://www.hatsu-koi.jp/">http://www.hatsu-koi.jp/</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://red-ocean.org/re/2006/07/09/hatsukoi/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
