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	<title>red-ocean.org &#187; 美術・写真</title>
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	<description>都市・写真・本・雑記などをお届けするサイトです</description>
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		<title>らくだ日報2009.6.21</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 15:16:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[らくだ日報]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[美術・写真]]></category>

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		<description><![CDATA[【2009.6.21】◆最近、八王子のことばかり書いているが、駅北口から、左ナナメに伸びる西放射線ユーロード（結構奇妙なネーミングセンスだよなぁといつも思うが）にある、はり猫というジャズ喫茶にはじめて足を踏み入れる。うら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>【2009.6.21】◆最近、八王子のことばかり書いているが、駅北口から、左ナナメに伸びる西放射線ユーロード（結構奇妙なネーミングセンスだよなぁといつも思うが）にある、はり猫というジャズ喫茶にはじめて足を踏み入れる。<span id="more-305"></span>うらぶれた天井裏の部室のような空間で、大音量で曲が流れていて、独特な雰囲気。入口付近に、別冊グラフィカという写真集シリーズが置かれていて、気になったものの、なんとなく買わずに帰ってきた。気になるシリーズ。<a href="http://www.graficamag.com/" target="_blank">http://www.graficamag.com/</a></p>
<p>◆（ここからなぜか、ですます調）先日、武蔵野美術大学図書館でやっている、「新国誠一の《具体詩》ー詩と美術のあいだに」に行ったのですが、その日はなんと、年に一度のオープンキャンパスの日。キャッキャと元気な高校生に混じり、入試のパンフレットとかがはいった手さげ袋をもらって、オープンキャンパス気分で学内をぶらぶらしちゃいました。で、なにやら全員当たるくじびきコーナーみたいなところで『ムサビ日記』（<a href="http://www.musabi.co.jp/books/163178/index.html" target="_blank">http://www.musabi.co.jp/books/163178/index.html</a>）という本をもらったのですが、これが、思いの外面白くて、さらっと読めちゃいました。美大生の日常が覗き見れちゃう、オムニバス形式っぽいブログ本で、「作品をつくらなきゃいけないのに、ネットばっかりやっててもうダメだ…」的な日記（いくつかあった）と、就職活動珍道中（？）みたいな話が記憶に残っています。生活と制作。生活と○○。どちらにどれだけ力をつぎこむか、というのは絶えない悩みなわけですが、特に美大生にとっては、それがはっきりと、くっきりと、作品という形ではねかえってくるのかなぁと思いました。美大、なんとも過酷でかつ面白そうなところですね。</p>
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		<title>八王子とムットーニ ～束縛と自由の距離～</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 14:18:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[美術・写真]]></category>

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		<description><![CDATA[八王子夢美術館は、小規模ながら、なかなか面白い展示をしていて侮れない。いわゆる美術館としての正統派的な展示からわずかにずれた、ユニークな展示が企画される機会が多いのである。
今やっているのは「ムットーニワールド」。作家名 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>八王子夢美術館は、小規模ながら、なかなか面白い展示をしていて侮れない。いわゆる美術館としての正統派的な展示からわずかにずれた、ユニークな展示が企画される機会が多いのである。</p>
<p>今やっているのは「ムットーニワールド」。作家名がムットーニというので外国人かと思ったが、実は日本人で、武藤雅彦さんという名前のお方。作品は、西洋風からくり人形のような、自動上演式人形装置群。きらきらとひかるミラーボールや、豆球の輝く摩天楼の前で、あるいは教会のパイプオルガンの前で、機械仕掛けの人形が、上下・左右にチクタクと、緻密に、そして繊細に動きまわる。人形や背景のひとつひとつの動きは物語性を持ち、ある結末へ向けて稠密に展開されていくので、ひとたびその動きを見始めてしまったら、目をそらすことはできない。</p>
<p><span id="more-286"></span>40あまりあった作品のなかで、最も良かったのは「ザ ダイアリー オブ ウィングス」。等距離に分散して置かれた人形たちは、みんな灰色い顔をして、すっかり各々の内的世界に閉塞しているかのようだ。だが、真っ赤に塗られたひとつのオブジェクト（それが何であるかは、ここでは言わない）の浮上を合図に、人形たちは同時多発的に、まるで天使のように、上昇をはじめるのである。離れられなかったはずの地面から離れることで、人形たちは、束縛と自由の間にある微妙な境界をまたぐ。</p>
<p>「人形がただ１回転するだけで、物語が成立するかもしれない…」とは、今回の展示のビラに書かれた言葉だったが、だとすればこの「ザ ダイアリー オブ ウィングス」は、複数の人物の［時間-物語］を、丹念に追いかけるようにして撮られた、良質なショートムービーのようである。束縛から自由へ、束縛から自由へ。スイッチを切り替えたくなったときに、何度でも見たくなる感じのする作品。人形で、こういうことができるのか！と驚かされた。</p>
<ul>
<li>八王子夢美術館<a href="http://www.yumebi.com/" target="_blank">http://www.yumebi.com/</a></li>
<li>ムットーニ（作家公式Web）<a href="http://www.muttoni.net/" target="_blank">http://www.muttoni.net/</a></li>
<li><a href="http://www.youtube.com/watch?v=k_wRJ4KINoA" target="_blank">you tube -昔のニッサンのCM-</a></li>
</ul>
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		<item>
		<title>イリヤ・カバコフの挿絵と、ページレイアウト</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2008/03/02/lavakoh/</link>
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		<pubDate>Sat, 01 Mar 2008 17:42:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>
		<category><![CDATA[美術・写真]]></category>

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		<description><![CDATA[十数年ぶりに世田谷美術館を訪れた。今回の目的は、イリヤ・カバコフ『世界図鑑』展。1950～80年代にかけて、イリヤ・カバコフという作家が、出身地であるソ連で描いたさくさんの絵本や、その原画を展示した美術展…と説明すれば簡 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://red-ocean.org/re/wp-content/uploads/2008/03/2008-03-02.jpg" rel='lytebox[lavakoh]'><img class="alignright size-full wp-image-122" title="2008-03-02" src="http://red-ocean.org/re/wp-content/uploads/2008/03/2008-03-02.jpg" alt="2008-03-02" width="106" height="150" /></a>十数年ぶりに世田谷美術館を訪れた。今回の目的は、イリヤ・カバコフ『世界図鑑』展。1950～80年代にかけて、イリヤ・カバコフという作家が、出身地であるソ連で描いたさくさんの絵本や、その原画を展示した美術展…と説明すれば簡潔でわかりやすそうなのだが、これではこの作家の――そしてこの美術展の――ごく一面について言及しているに過ぎない。</p>
<p><span id="more-120"></span>1988年、イリヤ・カバコフはロシアを離れ、以後ニューヨークを足場に現代美術の作家として活躍しており、日本でも1999年に水戸芸術館で、2004年に森美術館で展覧会が開かれている。私はどちらも行ったことはないのだが、森美術館のほうのページに写っている巨大な足は、雑誌か何かで見た覚えがある。</p>
<p>美術大学を出た作家は、検閲体制の厳しい旧ソ連のなかで、自らを統制し共産主義的な思想に適合した挿絵画家の未知を選択するか、はたまた自らの想い描くものを描くかの選択を迫られた末、前者を選んだという。そんなわけで今回展示された挿絵は、作家が生活の糧を得るために描いたものであり、その制作において作家は、検閲にひっかからないよう、十分な自己統制と自己検閲を自らに課さざるをえなかった。</p>
<p>よって今回の展示品が、この作家の代表作的なものであるととらえるとすると、大いなる誤解をしたことになってしまう。とはいえかく言う私自身、そのようなバックグラウンドをよく知らないままに鑑賞した。それ故、これから書くことは、作品自体の構図や描写、色彩といったもの自体を見ることに専念した上で感じたことであるが、そのへんはご容赦を。</p>
<p>＊</p>
<p>まず感じたのは主線の美しさである。</p>
<p>ほとんどの挿絵は、黒インクで描かれている。一色刷用に使われたものはマンガ原画のように、陰影までもが黒インクの線によって描かれている。一方四色刷として使われた原画には、さらに水彩によって色が着けられている。</p>
<p>黒インクの輪郭線は、実にいろいろな表情の線で構成されている。方眼紙のように均等にひかれた直線、楽譜に書かれた長いスラー記号のように滑らかな弧状の曲線、線の太さを微細に変化させることによって描かれた陰影など、その変化のバリエーションはとても豊かである。</p>
<p>もうひとつ驚いたのは、多くの作品において、彼は挿絵を描いているというよりも、ページのレイアウトをしている点である。</p>
<p>誌面を「井」の字で区切り、天地左右の余白に共通の文様を描き、中央部分は空白にしてテキストが入るスペースをつくったもの。ページ全体を装飾的なワクで囲い、そのワクによって断ち切れるように、内側に人間や植物や機械の絵を描いたもの。ページ全体に格子状の地紋を描いた、グリッドシステムに基づいたもの。見開きの中央に全ページ共通で大きな時計の文字盤を描いたもの。見開きの天地センターにぶち抜きで街の断面図を描き、逃がすようにテキストを配置したもの…などなど、その構成の大胆さと色彩の美しさはやみつきになる。一方のテキストはといえば、古典的な装飾が施された端正なタイポグラフィのキリル文字が入るわけで、こうして構成されたレイアウトは、ため息がでるほどに美しい。</p>
<p>かつての挿絵画家は、ページレイアウト的なことにまで手を出すのが普通だったのか、それとも、この作家が特にその辺にも秀でているということなのか、不勉強なため何とも言えないのだが、いずれにしろ、現代の出版物では、同様の魅力を感じることはほとんどない。</p>
<p>コンピュータ技術によって描かれるようになった直線や短形は、一寸のくるいもないようでいて、実はとても狂っているような気がする。</p>
<p>人間が直接手で描くことによって、錯覚や誤差をも包含した上で立ち現れる均整さみたいなものがあって、それが、誌面の力をつくりだすように思える。そんな、誌面の力みたいなものを含んだデザインを、実現させることはできないだろうか。</p>
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		<item>
		<title>肉と、コマ割りの解体　～第10回　岡本太郎現代芸術賞展について～</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2007/02/19/okamoto10/</link>
		<comments>http://red-ocean.org/re/2007/02/19/okamoto10/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 18 Feb 2007 16:03:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[美術・写真]]></category>

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		<description><![CDATA[雨上がりの休日。川崎市岡本太郎美術館で開催されていた、第10回　岡本太郎現代芸術賞展に行ってきました。刺激的な作品が多かったのですが、特に印象に残った２つの作品について、書こうと思います。
・松本真由子『次の日も日曜日』 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>雨上がりの休日。川崎市岡本太郎美術館で開催されていた、<a href="http://www.taromuseum.jp/exhibition/exhibition_current.html">第10回　岡本太郎現代芸術賞展</a>に行ってきました。刺激的な作品が多かったのですが、特に印象に残った２つの作品について、書こうと思います。<span id="more-131"></span></p>
<p><strong>・松本真由子『次の日も日曜日』</strong></p>
<p>鶏 肉、牛肉、ムネ肉、モモ肉、しゃぶしゃぶ用の肉、骨付き肉…。キャンバスいっぱいに並べられた（描かれた）まさしく肉感的な肉。その間のところどころに、 モデルハウスのようにきれいな新興住宅地の一戸建てと、魚よりも肉が好きそうな人たちが描かれている強烈な絵だ。肉の間に立つ女子高生は日曜日なのに制服 を着ていて（彼女たちは、ダイエットのために肉を食べることをやめたこともあったが、今はまた食べている）、小学生二人は顔のパーツがはっきりとせず（肉 を食べ過ぎたためだ）、さらに犬をつれて歩くホリデーパパもいる（金曜の夜は焼き鳥をたべていたのに、日曜の夜や家族で焼肉を食べるつもりらしい）。</p>
<p>肉はいつでもどこでも、豊富に供給される。近所のスーパーに、肉屋に、ハンバーガーショップに、ステーキハウスに、コンビニに、薬局に、ケーキ屋に、文房具屋に、クリーニング屋に、酒屋に、駅に、路地に、道端に、家の中に、どこにだって！</p>
<p>こ れは私たちの夢なのだ。平穏で日常的で、資本主義的で飽食ぎみの、つまり安心で快適で安全な食生活と（もちろん、メニューは肉が中心だ）、それによって得 られる快適な休日、やすらぎ、壊されない家族関係へのささやかな夢なのだ。つまりこの絵に描かれた人々は、次のように考えていることになるのだろ う。（もっともこれほど意識的ではないだろうけれども。）</p>
<p>「日曜日はすばらしい。だって平穏な日曜日には、リストラの辞令も出されなければ、落第を言い渡されることもないから。肉を食べていれば、ささやかな幸せはいつまでも維持できる。」</p>
<p>肉を食べる平穏な日曜日を、私たちは望んでいる。そして次の日もまた、肉を食べる日曜日であればいいと思っている。やがてすべての肉を食べ尽くしたとしても、すぐに次の肉が供給されるだろう。かつて平日に稼いでおいた金と、地球上の畜産資源が枯渇せずに残っている限りは。</p>
<p><strong>・菱刈俊作『スペシャルグリッド＆アザーストーリーズ』</strong></p>
<p>壁 一面に貼られた大きな紙の上には、曲線によって構成された格子状の柄が広がっている。しかしその格子を構成する曲線は、鉛筆やペンや絵筆によって直接紙の 上に描かれたものではない。その有機的に曲がりくねった線は、売店やコンビニで販売された、幾多ものエロ漫画に描かれた女体の輪郭線だったのだ。</p>
<p>作 者は漫画誌から、女体の輪郭線がプリントされた膨大な数のコマを破り取り、ザラ紙やグラビアにプリントされたその有機的な曲線がうまくつながるように切り 貼りして作品を制作したと思われる。エロ漫画に登場するキャラクターの肉体を構成していた曲線は、疑似肉体の構成要素としての役目を失い、若干肉感的では あるが概ね幾何学的な格子模様の一部に組み込まれてしまう。ところどころに貼り付けられたグラビアの乳首も、離れた位置から作品を眺めたときには、ただい くらか桃色がかった線としてしか認識されえない。</p>
<p>ところで作品の前に置かれたちゃぶ台には、数冊のスケッチブックも置かれていた。その一 冊は、作品を構成するために方々を破りとられたボロボロの漫画誌だった。コマ割りのなかで意味を持たされていた線たちは所与の役割を失い、穴だらけの誌面 からはストーリーを把握することはできない。しかし原形をとどめなくなった漫画誌は、もとの姿よりも遙かに魅力的だ。解体されることによってはじめて、平 凡なエロ漫画誌は欲望を与えるための道具という本来の目的から脱出し、新たなものへと変化することができるのだ。</p>
<p>ちゃぶ台に置かれたス ケッチブックのうち、もう一冊はさらに印象的だった。ありとあらゆる漫画から、誰かを呼ぶセリフのコマだけが切り取られ、一冊に貼り付けられていたのであ る。コマの大きさは揃えられ、かすかにエンディングさえつくられているので、一見普通の漫画作品のようにも見えるが、この作品はその程度のものではない。<br />
漫 画のコマ割りが、時間的連続性を表現するものであることはいうまでもないが、作者はコマを切り離すことで、漫画上で構築されていた時間の整序関係を壊して しまったのだ。そしてさらに、切り離されたコマを一冊のスケッチブックに貼り付けることによって、あらたな時間的連関性を生成してしまっている。もともと の漫画のコマ割りが持っていた正しい時間的連続性は、ついに平面上の整序関係から解き放たれ、立体的で串刺し的な新たな時間的連続性のもとに再構築されて しまったのである。</p>
<p>以上のようにして作者は、同時多発的に二つの方法で漫画のコマ割りを解体してしまっている。なんとも、これは興味深い作品だ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>『私のいる場所』-新進作家展Vol.4 ゼロ年代の写真論</title>
		<link>http://red-ocean.org/re/2006/04/16/zeronendai/</link>
		<comments>http://red-ocean.org/re/2006/04/16/zeronendai/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 16 Apr 2006 14:34:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>redtail</dc:creator>
				<category><![CDATA[美術・写真]]></category>

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		<description><![CDATA[
東京都写真美術館で開かれている、『私のいる場所』-新進作家展vol.4 ゼロ年代の写真論（2006.03.11-2006.04.23）で気になった作品について、書き留めておこうと思います。
〔アントワーン・ダガタ／An [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="newsTextBox">
<p class="news">東京都写真美術館で開かれている、<a href="http://www.syabi.com/details/sakka_vol4.html">『私のいる場所』-新進作家展vol.4 ゼロ年代の写真論</a>（2006.03.11-2006.04.23）で気になった作品について、書き留めておこうと思います。</p>
<p><strong><span id="more-145"></span>〔アントワーン・ダガタ／Antoine d&#8217;Agata〕</strong><br />
裏 ぶれた街のしわくちゃなシーツがかかるベッドの上に寝転がる、幾人もの人々の熱情と冷情を直視させられる、肉感的なポートレート。ちょっとした振動で、外 壁がのきなみ剥がれ落ちてしまいそうな老朽化した建物の外見。夜を全力で失踪しながら撮り回ったと思わせる失踪感溢れる写真が、コの字型の展示壁の３面を 囲うように、隙間無く並べられていた。それぞれの写真は黒淵のイーゼルで端正に囲われていて、ひとつひとつが窓のように見えた。あらゆる場所へつながる窓 が設けられた、その秘密の部屋は、街のあらゆる場面を覗き見ることができる、秘密のコックピットのようだ。（しかしそのコックピットは、監視や行動操作と いった行為からは最も遠いところに置かれ、それゆえに、裏街に最も近いところにあるのだろう。）<br />
今回の写真展のフロア分けからすると、この作品 は、「私の中の私」というカテゴリーに属することになる。しかしこの作品は、作者自身の姿を想起させるようなものではない。もし、そこに写されたポート レートの何人かが、あるいはそのほとんどすべてが作者自身であったとしても、それはすでに内的な存在として閉じている作者ではないのだ。どうしてこの作品 が、ひとつ下の展示フロア「社会のなかの私」にないのだろうかと、疑問に思う。</p>
<blockquote><p><strong>Antoine D&#8217;AGATA</strong><br />
<a href="http://www.documentsdartistes.org/artistes/dagata/repro.html" target="_blank">http://www.documentsdartistes.org/artistes/dagata/repro.html</a></p>
<p><strong>アントワン・ダガタ</strong><br />
<a href="http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/aga/index.html" target="_blank">http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/aga/index.html</a></p>
<p><strong>Soleil de nuit</strong>（<a href="http://tadafumi.jugem.jp/" target="_blank">http://tadafumi.jugem.jp/</a>）の（2006.03.30の書き込みにある、「ペドロ・コスタの「ヴァンダの部屋」を思い出した。」という文章より、気になって映画「ヴァンダの部屋」（<a href="http://www.cinematrix.jp/vanda/" target="_blank">http://www.cinematrix.jp/vanda/</a>）の予告編を見てみる。予告編はどこかの映画館で見た記憶があるが、本編は見たことがない。そして、とても見たくなった。</p>
<p><strong>幻 日 日 記 &#8211; NO FILM,NO LIFE</strong><br />
<a href="http://navy.ap.teacup.com/genjitsunikki/22.html" target="_blank">http://navy.ap.teacup.com/genjitsunikki/22.html</a></p></blockquote>
<p><strong>〔アンニ・エミリア・レッパラ／Anni Emilia Leppala〕</strong><br />
日 常的な社会生活ではなく、作者自らの内面的な精神世界が描き出されている。彼女の作品は、どんなものをどのように写すかという、被写体やフレーミングの選 定といった領域を超え、撮るべきものを作家自らが想像し、創り出してしまっている。その創作のプロセスは、絵画を描くことや、彫像を創る行為に、限りなく 近いようである。<br />
「私」の存在なり立場なり形なり姿といったものを、フィルム上に感光させようとする行為のなかで、ここまで想像的かつ内奥的な「私」を映し出そうとした作品は、（私が不勉強で知らないだけかも知れないが）今まであまり見たことがない。</p>
<p><strong>〔ジャン＝ポール・ブロヘス／Jean-Paul Brohez〕</strong><br />
草木が繁茂しすぎることのないヨーロッパ的な痩せた土地と、ペンキが少しはげ落ちた素朴な木製家具。素朴で色調の淡い写真が、十点ほど並べられていた。作品脇に掲げられた作者自身の言葉によれば、彼はベルギーの片田舎に住み、日常生活を撮っている写真家ということになる。<br />
ところで彼は、自分の撮った写真に、なにか特定の意味を付与しようとする意図はないとも記していた。そのせいだろうか、彼の作品を見ても、私には、彼の日常が撮られているという事実以外の何かを感じることはできなかった。</p>
<p>日 常的に目にする光景、とりわけ風景や、風景に混じるように存在している人々の光景、あるいは、普段見るのと同じような画角、角度、方向から見た日常の生活 道具や部屋を被写体とした写真は、強いインパクトや印象を私たちに与えてはくれない（気がする）。よくよく注意しなければ、さっと流してしまいたくなるこ とさえある。一方、人間の高揚や失望の姿が生々しく写されていたり、作者の抽象的な精神世界が描かれている作品や、ある物の一部分のみをクローズアップ し、その物がもつ部分的な形状の神秘が顕にされるような写真は、前者に対して、瞬時に受け取ることができる情感、印象が強い気がする。</p>
<p>で は、彼の作品を、完全にそのような考えから判断して良いのだろうか？　彼の写真は日常生活を写している事実を感じられる以外の何者でもないのだろうか？　 そう考えている私にヒントを与えてくれたのは、意外にも、美術館のビラにさりげなく書かれていた、数行の告知文だった。<br />
「決してきれいごとではすまされないスローライフをリアルに描き出す…」<br />
この一文を読んでようやく、私はこの写真を、私たちの文脈の中でとらえられる気がしてきた。</p>
<p>実 は、彼の作品には何となく既視感があった。それは、最近よく出版されている、スローライフを提唱する雑誌やムックでたびたび見かける、淡い色調の写真との 類似感によるものだった。彼の写真は、主に色調や構図、被写体の雰囲気といった面では、ほぼすべてそうした雑誌で見たことがある写真の、イメージの範疇に おさまってしまうものだったのだ。けれども注意深く見ていけば、両者の間に大きな違いがあることがわかる。ジャン＝ポール・ブロヘスの写真には、馬の尻、 小瓶の内側にへばりついた虫、摘みたてのキノコを並べ、乾燥させている場面などが写されている。日本のスローライフ雑誌が決して掲載しない、自然のぐじゅ ぐじゅした部分を、作者は自然な日常生活の光景として写している。</p>
<p>直接見たことがない場所の風景、物の姿であっても、色調や被写体が類似 していると、私たちは脳の記憶にある、「似たもの」と結びつけてそれを捉えようとしてしまう。しかし、何かに似ていると思うときこそ、それが一体何と類似 しているのかに注意を払わなければならないだろう。そのように注意することで、「似ている」ものと、目の前のものとの違いを、より本質性に近い部分で把握 できることがあるのだ。</p>
<blockquote><p><strong>actuphoto.comのJean-Paul Brohez に関するページ（仏文）</strong><br />
<a href="http://www.actuphoto.com/photographie_2186" target="_blank">http://www.actuphoto.com/photographie_2186</a></p></blockquote>
<p><strong>〔池田晶紀〕</strong><br />
写 真館を営む家に生まれた作者が、いわゆる普通の記念写真とは違う形で、「記念写真」を撮ることはできないだろうかと考えながら撮影されたという写真たち。 ごく普通の記念写真を撮るのが写真館の営業日ならば、そうでない記念写真を撮るのは定休日になるという考えから、作品は「休日の写真館」と名付けられてい る。<br />
ふたを閉めたグランドピアノの上に、戸惑った表情を装って座っている女の子の写真が、印象に残っている。彼女は普段、決してピアノの上になん か乗らないだろうし、たとえ乗りたいと思っていても、乗れないだろう。やってはいけないことだと、教育されているのだろうから。けれども記念写真の撮影と いう特別なタイミングでだけ、そんなご法度は許されてしまう。<br />
幼いころの記念写真というと、それを撮られた記憶はほとんど残っていない。アルバム の中から見つかった記念写真を見ても、昔本当にそんな写真を撮ってもらったのか、記憶があいまいな場合も多い。けれどもピアノの上に乗ったその女の子姿 は、記念写真として残されるばかりでなく、彼女の記憶の中にも鮮明に残るだろう。</p>
<blockquote><p><strong>Contemporary Art Factory（現代美術製作所で開かれた写真展の様子）</strong><br />
<a href="http://www.ask.ne.jp/%7Efactory/exhibition/artists/ikeda/space_ikeda.htm" target="_blank">http://www.ask.ne.jp/~factory/exhibition/artists/ikeda/space_ikeda.htm</a></p></blockquote>
<p><strong>〔みうらじゅん〕</strong><br />
街 角の変なものを写した写真を、大きなスクリーンに投影し、ホールに集まった観客の前でトークショーを繰り広げていくイベント「THE SLIDE SHOW」のビデオが流れていた。みうらじゅんが集めてきた、変な看板や変なビラの写真をネタに、いとうせいこうが突っ込みを入れるという構成なのだが、 本当に変な看板とか、本当に変なビラが登場して、静かな展示室のなかで、笑いをこらえるのが必死だった。一般的にイメージする写真展の作品からは、少し毛 色の違うものであったが、展示企画の趣旨にうまく包含されており、この写真展の構成の上手さを感じた。</p>
<blockquote><p><strong>はてな &#8211; ザ・スライドショーとは</strong><br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B6%A1%A6%A5%B9%A5%E9%A5%A4%A5%C9%A5%B7%A5%E7%A1%BC" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B6%A1%A6%A5%B9%A5%E9%A5%A4%A5%C9%A5%B7%A5%E7%A1%BC</a><strong>WOWOW NEXT ENTERTAINMENT GENETICS（有料で見られるサイト）</strong><br />
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