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イリヤ・カバコフの挿絵と、ページレイアウト

2008-03-02十数年ぶりに世田谷美術館を訪れた。今回の目的は、イリヤ・カバコフ『世界図鑑』展。1950~80年代にかけて、イリヤ・カバコフという作家が、出身地であるソ連で描いたさくさんの絵本や、その原画を展示した美術展…と説明すれば簡潔でわかりやすそうなのだが、これではこの作家の――そしてこの美術展の――ごく一面について言及しているに過ぎない。

1988年、イリヤ・カバコフはロシアを離れ、以後ニューヨークを足場に現代美術の作家として活躍しており、日本でも1999年に水戸芸術館で、2004年に森美術館で展覧会が開かれている。私はどちらも行ったことはないのだが、森美術館のほうのページに写っている巨大な足は、雑誌か何かで見た覚えがある。

美術大学を出た作家は、検閲体制の厳しい旧ソ連のなかで、自らを統制し共産主義的な思想に適合した挿絵画家の未知を選択するか、はたまた自らの想い描くものを描くかの選択を迫られた末、前者を選んだという。そんなわけで今回展示された挿絵は、作家が生活の糧を得るために描いたものであり、その制作において作家は、検閲にひっかからないよう、十分な自己統制と自己検閲を自らに課さざるをえなかった。

よって今回の展示品が、この作家の代表作的なものであるととらえるとすると、大いなる誤解をしたことになってしまう。とはいえかく言う私自身、そのようなバックグラウンドをよく知らないままに鑑賞した。それ故、これから書くことは、作品自体の構図や描写、色彩といったもの自体を見ることに専念した上で感じたことであるが、そのへんはご容赦を。

まず感じたのは主線の美しさである。

ほとんどの挿絵は、黒インクで描かれている。一色刷用に使われたものはマンガ原画のように、陰影までもが黒インクの線によって描かれている。一方四色刷として使われた原画には、さらに水彩によって色が着けられている。

黒インクの輪郭線は、実にいろいろな表情の線で構成されている。方眼紙のように均等にひかれた直線、楽譜に書かれた長いスラー記号のように滑らかな弧状の曲線、線の太さを微細に変化させることによって描かれた陰影など、その変化のバリエーションはとても豊かである。

もうひとつ驚いたのは、多くの作品において、彼は挿絵を描いているというよりも、ページのレイアウトをしている点である。

誌面を「井」の字で区切り、天地左右の余白に共通の文様を描き、中央部分は空白にしてテキストが入るスペースをつくったもの。ページ全体を装飾的なワクで囲い、そのワクによって断ち切れるように、内側に人間や植物や機械の絵を描いたもの。ページ全体に格子状の地紋を描いた、グリッドシステムに基づいたもの。見開きの中央に全ページ共通で大きな時計の文字盤を描いたもの。見開きの天地センターにぶち抜きで街の断面図を描き、逃がすようにテキストを配置したもの…などなど、その構成の大胆さと色彩の美しさはやみつきになる。一方のテキストはといえば、古典的な装飾が施された端正なタイポグラフィのキリル文字が入るわけで、こうして構成されたレイアウトは、ため息がでるほどに美しい。

かつての挿絵画家は、ページレイアウト的なことにまで手を出すのが普通だったのか、それとも、この作家が特にその辺にも秀でているということなのか、不勉強なため何とも言えないのだが、いずれにしろ、現代の出版物では、同様の魅力を感じることはほとんどない。

コンピュータ技術によって描かれるようになった直線や短形は、一寸のくるいもないようでいて、実はとても狂っているような気がする。

人間が直接手で描くことによって、錯覚や誤差をも包含した上で立ち現れる均整さみたいなものがあって、それが、誌面の力をつくりだすように思える。そんな、誌面の力みたいなものを含んだデザインを、実現させることはできないだろうか。

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