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百草団地は多摩 の丘陵地を切り開いて建てられた団地で、片隅の小高い丘からは団地の全景を、振り返れば武蔵野の台地を眼下に一望することができる。地をはい上がってきた 風は、丘の上を、止むことなく吹き抜けていく。築三十年余、中層、高層の古びた建物が、丘陵地の傾斜に沿って、ゆるやかな曲線状に配置されている。この丘 の地面は、切り開かれたばかりのむき出しの赤土とは違なり、草木に覆われ、すっかり落ち着きをもっている。ある日の午後、偶然訪れたその団地に、なぜだか 私は強い懐かしさを感じた。ふと、私は小学生の頃住んでいた街の古ぼけた団地のことを思い出した。
荻窪団地、約二十棟の中層団地である。十数年ぶりに訪れたそこは、改修や改築を施されることもなく、相変わらず古ぼけた姿で立ち並んでいた。団地の 中央にそびえ立つ高さ三十メートル程の塔に、小学生の頃の私は「いつか崩れ落ちて来はしまいか」と恐怖を感じていたが、その迫力はさらに増しつつあるよう に感じる。
築四十年の白壁はひび割れと黒に侵蝕され、バス停脇に建ち並んでいた商店に活気はなくなり、団地内に人影はまばらだ。既に入居募集を停止しているせ いか、ベニヤ板の打ち付けられた窓が目につく。十年の月日が、この場所に沈滞をもたらしてきていることを感じる。生きられた場所としての街の活気が、最低 限、転出者と転入者という出入りのプロセスによって支えられていると考えるならば、すでにこの場所は、新たな入居者を受け付け得ない、死にゆく街なのだ。
人が生まれ老いていく過程を、〈生成と腐敗〉という自然の循環過程のなかに位置づけるならば、建築物もまた、建設された途端に、風雪に耐え徐々にそ の強度を失っていく〈生成と腐敗〉の物質なのだ。通常の街区ならば、老朽化した建築物は順次改築を施され、再びそこは転入者が住み着くすみかとなる。しか し、団地のように、単一の施工者が広大な土地を建築した街区の場合、その改築は街区全体を対象としたものとなるから、かなりの程度まで街全体が死滅へ向か わない限り、改変は容易に行われ得ない。
街の〈成立と発展、沈滞と消滅〉という現象を、数十年・数百年というタイムスパンによってとらえるならば、街もまたどれほど人工の営為によって作ら れた物であったとしても、自然の循環過程と類似した循環過程のなかに位置づけられるものなのだ。そしてその「街の生成と腐敗」は、人の〈出生(転入)と死 (転出)〉と、建築物の〈建設と荒廃〉という二つの循環過程と不可分な関係性を持つ。すなわち、街の寿命と建築物の寿命というこの二つの事柄によって、街 の新陳代謝は条件づけているのだ。
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団地の片隅にある滑り台に立ち、頬に冷たい風を受けると、昔の記憶が蘇ってくる。小さな自分が、危なっかしく自転車をこいでいく姿が目に浮かぶ。十数年前、確かに私はこの場所にいた。しかし、久しくその場を訪れることのないあいだに、街はすこしずつ老化し、変化していく。
一九六〇年代、日本の都市周辺のあちこちに「団地」が建てられ始めた頃のことについて、今福龍太氏(一九五五年生)は、次のように話している。
「この時、何か違う現象が起こってしまったという感覚はあったね。自分の子供時代の遊び場、それは海岸地帯特有の砂丘だったり松山だったり、湿地だった り、それぞれが遊び場として自分たちだけの意味をもっている空間が一つ一つ失われて、消えていく。〔…〕ぼくの直感的な感覚では、自分の生きていたトータ ルな世界が断片化されて違うものになってゆく、そしてそこにはもはや同じ遊びのコードが成り立たないような全く別の空間が現れてきたという感覚だった。団 地なんて本当に最初はどう理解していいか分からない場所だった。」
(SPUTNIK、http://www.sputnik.ac/interview%20page/mingle.html)
しかし一九八〇年代の都市に産み落とされた私にとって、団地は既に新興のものではなく、すっかり街の風景にとけこんだ、生きられた空間であった。既に建物 は日に日にその耐久性の限界を露呈しはじめ、ペンキの剥がれかけた白壁と縦横無尽に走る亀裂は、不気味ささえ発しはじめていた。小学生の時分、私はなぜか 吸い込まれるようにそんな団地に向かい、遊び、棟と棟の間の細く曲がりくねった通路を自転車で駆けめぐっていた。そこは、周りの住宅地とは違う独特の広が りを持つ場所のように思われた。そしてそこは、許された場所のようでもあった。
都市の密集地のなかで、人々は壁と壁の隙間、私有地と私有地の狭間のごくわずかな公共空間にしか立ち入ることを許されない。都市もまた自然の循環過程のな かに構築されたものであるし、そのたくさんの建築物・構築物を取り除いたところに広がるのは原野である。しかしその広大であるはずの都市の地平において私 たちが足跡をつけられるのは、細く入り組んだ道路、公園や広場、自らの住まい、そして立ち入ることを許されたごく一部の建築物に過ぎない。そうしたなかに あって団地は、パブリック/プライベートの境界を厳密には規定せず、曖昧に広がった、特異な空間なのだ。
団地には 壁がない。棟と棟の間には芝生や草木が生い茂り、棟の階段や廊下へと同様、それらの場所に立ち入ることを制限する威圧的な物理的障壁はない。車の往来は少 なく、団地の随所に公園や広場のような空間がある。プライベートスペースが小さな箱に詰め込まれ、積み並べられた結果、プライベートでもパブリックでもな い、半パブリックとも言いうるような曖昧な空間が連続的な広がりをもって配置された空間、それが団地であった。小学生のころの私がなんとなく惹きつけら れ、歩き回ったのは、団地のそうした空間性によるものだったのだろう。そしてこの特有の空間性は、同時期に建てられた日本全国の団地にも共通している。初 めて訪れたにもかかわらず感じた百草団地の懐かしさ、落ち着きの感覚は、そうした特異な団地の空間性によるものだったろう。
今福氏が、幼き日に走り回った原野に、突如として団地が建設されたとき、場所の感覚を失ったならば、私にとって「そのとき」は、この老朽化した団地が建て 替えられるときになるであろう。私にとって、場所の感覚は、自然の山や畑や水路のなかで培われたものではなく、それは既に合理的に整備され、人工的に構築 された都市空間のなかで構成されたものであるのだ。
もし、私が荻窪団地を訪れたとき、既に建て替えが行われていたとしたら、私は昔の記憶を蘇らせることができただ ろうか。そして不在の間にもたらされた、建物や街の様子の変化を感じると同時に、その間に変化した/しなかった私の身体や思考や意識を、建築物や空間性の 変化とパラレルなものとして対象化することはできたであろうか。
訪れることによって、頭の片隅にしまわれた記憶を呼び出すことのできる場所、そうした「記憶の場所」は、人間に とって大切なプレイスだ。それは個々人がその思い出に浸るために、懐かしさに浸るためだけにだけあるような場所ではない。認知科学の研究によれば、人間の 記憶は、そのすべてが脳にまとまっているのではなく、環境内の事物を記憶の外部装置として働かせることによって成立しているのであるという(大野・中安・ 添田, 2002, p.173)。また、計量分析的(客観的)な視点からの地理学へのアプローチに対して、「人間とのかかわり」に基点を置きながら、空間や場所について探求 していこうとしている現象学的地理学(高野,1991,pp.332-333)の研究もまた、空間や場所と人間のかかわりについての、重要な視点を提示す る。
場所は抽象的な物や概念ではなく、生きられる世界の直接に経験された現象であり、それゆえ意味やリアルな物体や進行しつつある活動で満たされている。それ らは個人的なまたは社会的に共有されたアイデンティティの重要な源泉であり、多くの場合、人々が深く感情的かつ心理的に結びついている人間存在の根源であ る。(Relph, 1976=1999, p.294)
参考文献
Relph, E. 1976 Place And Placelessness, Pion Limited.(=1999,高野岳彦・阿部隆・石山美也子訳『場所の現象学』筑摩書房)
大野隆造・中安美生・添田昌志,2002,「移動時の自己運動感覚による場所の記憶に関する研究」,『日本建築学会計画系論文集』,560:pp.173-178.



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