
八王子のくまざわ書店で、店員さんおすすめのPOPがつけられていて、思わず手に取ってしまった漫画のことについて少し書きたいと思います。
■STORY
2010 年。日本発の有人宇宙探査ロケット、獅子号が打ち上げられた。だが獅子号はエンジントラブルを起こして海辺の小さな街、唯ヶ浜に墜落! 街は炎につつまれ、鴨川アスミは幼くして母親を亡くしてしまう。そんなあるとき、アスミはライオン頭をした不思議な幽霊と出会う。星の話、宇宙の話をたくさん聞かせてく れる「ライオンさん」の影響を受け、アスミは宇宙に強い興味を持つようになる。そしていつしか、ロケットの運転手になることを心に決めるのだった――。
14年後、アスミは宇宙飛行士をめざして東京宇宙学校に進学。過酷な訓練にもめげず、仲間とともにがんばっていた。そんな矢先、アスミは獅子号の事故についての、ある噂話を耳にし、忘れかけていた事故の記憶に向き合っていくことになる…。
■『ふたつのスピカ』と空
澄み渡った青い空。それは学校生活や日常生活からの逃避先として、あるいは自由や解放といったイメージを連想させる演出として、特に少女漫画などでたびた び描かれる。『ふたつのスピカ』にも、そんな演出が出てくる。「ライオンさん」のことをクラスメイトに信じてもらえず、べそをかいて神社の境内に座り込 んでいたアスミに、花火師のおじいさんが声をかける。「下を向いてる時間があるなら、少しでも空を見上げなさい。」そう言われるとアスミは空を見上げ、泣 くのをやめる。(アスミの小学生時代を描いた「小さな小さな水の星」、6巻収録)
しかしアスミが見上げる空は、この手の演出を用いた多くの物語で描かれるそれとは少し性質を異にしている。それは、決して近づきえない憧れとしての空ではなく、現実にこれから足を踏み入れるであろう、希望の空間なの だ。しかも彼女たちは、光にあふれた明るい空を通り越して、さらにその先にある宇宙を目指す。アスミたちの態度、あるいは作者の空に対する態度に、私は好 感を持つ。作者は空を、単純な心境変化の演出のために描いてしまうのを、ぎりぎりのところで回避しようとしている。
空を見上げて一息ついた人々が、再び地面を向きなおし現実的な諸関係のなかに戻っていく話のなんと多いことか。けれどほんとうのところ、空は、単純に人々の気持ちを解放してくれるような空間でも対象でもないはずなのだ。空の青色は、地球の外部であり「無限」を連想させる宇宙空間の黒色が薄められたかりそめの色彩である。地上のあらゆる場所の上部にあまねく存在する空は、外部へ対峙するための最も身近で最も神秘的な広がりなのだ。
彼女は宇宙で何を見るのだろうか? 彼女はま ず、一面の暗黒と星空が支配する宇宙の不思議を感じ、青き地球の姿を見て歓喜の声を上げるだろう。しかしそれだけではないはずだ。重力が存在しない宇宙空 間では、重力が存在するあらゆる星の上では成立しえない、超越的な時空間が広がっている。それはもしかしたら、死者たちと言葉を交わすことができる空間な のかもしれない。宇宙空間にいることができる限定的な時間のなかで、彼女はきっと、獅子号の死者たちと静かに言葉を交わすだろう。生者・死者は、莫大に広 がる無重力の空間において、再びめぐりあうのだ。
実際、『ふたつのスピカ』には、物語のキーとなる何人かの幽霊が出てくる。獅子号の事故で亡く なったアスミの母親と、獅子号の搭乗員の幽霊「ライオンさん」などだ。三途の川の手前でさまよっているたくさんの幽霊たちは、井上靖がいうところの「もがり」の時空のなかにいる(1)。そして彼らが「もがり」の時空にいるとするならば、彼らを失い現世に残された人々もまた、「もがり」に対応するような特異 な時空に介在している。それをあえて、「残された者たちのもがり」と呼んでみよう。アスミは宇宙飛行士になるという夢へ向かって進むことで、「残された者 たちのもがり」の時空を過ごしているのではないか。そしてきっと、ついにたどりついた宇宙で死者たちと言葉を交わしたとき、彼女のもがりも終わるのだ。こ の物語の全体に流れる切なさは、そのへんからきているのだろう。
この物語で描かれているのは、単純に空への憧れを想い、あるいは空に接する場所 としての屋上に集まり、夢を語り合い、やがて現実世界へと戻っていく人々の動きとはちがう領域なのだ。空を、あこがれのイメージとして扱うにとどめず、空を越えてさらにその先に広がる宇宙へと飛び出していこうとすること。それが彼女の、そして彼女の仲間たちの魅力であり、この物語の魅力でもある。そして彼 女たちがもつそんな態度を、僕はいま失ってしまっている。
(1)もがりとは「生と死の間に死者の魂が浮遊している期間」のことである。井上靖は『星と祭』(1975、角川書店[角川文庫])のなかで、日本の古代の仮葬を意味する殯(もがり)をこのように解釈している。


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