2009/5/8 金曜日

団地関連本『団地の子どもたち』

danchinokodomo_covers.jpg約1年ぶりの更新になってしまいました。

発売日直後に入手してはいたのですが、遅ればせながら、『団地の子どもたち』 のことについて、ちょっとだけ書いてみたいと思います。

『団地の子どもたち』は、団地と、そこで遊ぶ子どもたちや家族らの写真が詰め込まれた写真集です。ふだんあまり見ることのできない、団地が若かった頃の(団地がメインストリームだった時代の)団地内の様子がうかがい知れる点が、この本の売りなのでしょう。資料として手元においておきたい一冊であることは、言うまでもないのですが、実は、私がこの本でいちばん気になるのは、本編に掲載された(子どもたちの遊びまわる様子が写し出された)写真たちではなく、子どもたちが誰一人として写っていない、表紙の写真なのです。

もしこの本をお持ちのかたがいたら、カバーをめくり、表紙を出してみてください。真っ黒いベタの中に、たくさんの白い窓が写し出されています。夜の団地を見下ろせるような場所から団地内を俯瞰して撮った写真なのでしょう。そこには、蛍光灯で白く光った、たくさんの窓が写し出されています。

白い窓の1つ1つを覗き込んでみると、わずかに、各家庭の様子をうかがい知ることができます。ほとんどはカーテンがかかっていて部屋のなかを見ることはできません。しかし、何軒か、カーテンのかかっていない家があって、その部屋だけは窓際の様子を、見ることができます。たんすやテーブル(のようなもの)、鉢植え(のようにみえるもの)、洗濯物、そして座る人が見えます。夕食時の光景なのでしょうか。それとも、もうすこし夜遅くなった頃合いの光景なのでしょうか。

公団の社歌に歌われていたように、たくさんの”窓”が、夜闇のなかで、くっきりと浮かび上がり、この大規模なコンクリート造の建築物の中に、人々の暮らしがあったことを証明しています。団地の窓、これはとても不思議なもので、のぞき込めるようでいて、のぞき込めない。隣の棟の室内の様子は、見えそうでいて、見えない。でも、完全に見えないかというと、そうでもなくて、ちょっとはのぞき見ることができる。上の階の生活音や、階段室での話し声の反響から、となり近所の生活の雰囲気が、漏れ聞こえてくることもある。隣近所の様子が、微妙にのぞき見えたり、聞こえてくるけれど、壁は隔たれているというこの距離感が、団地生活におけるプライバシーの正体なんだと思います。

この本の表紙は、静かに、そのことを伝えてくれます。もしかしたら、編集上の都合で何気なく選ばれた1枚なのかもしれません。しかし私にとってこの写真集で一番印象に残るのは、この1枚なのです。

どれだけ、子どもたちが団地をはしりまわる写真を集めたとしても、そこに描かれるのは、外から見た団地の姿に過ぎません。この本に収録された写真の子どもたちは、どこかポーズをとっているように見えますし、大人たちもまた、すました表情をしているように見えます。それは写真のためにつくられた、余所ゆきのポーズであったかもしれないし、あるいは、団地に住んでいるということ自体がある種のポーズになっていて、そこから自然と作り出されてしまった表情だったのかもしれません。

各家庭の中を覗き込むことができないように、走り回る子どもたちひとりひとりのコンプレックスや、夢や、エピソードに触れることはできません。本当は、もう1歩踏み込んだところがみたいというのが、この写真集を見たときの正直な感想です。でも、たぶん、この”踏み込めない感じ”が、団地という空間が作り出す距離感なんだろうという気がしています。

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余談:このブログの本家サイトをリニューアルしました。http://red-ocean.org/ よろしければぜひ一度、遊びにきてください。

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追記:2009/6/8 一部記述を変更しました。

団地を考える | リャマ | 12:18:46 |

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