2007/12/16 日曜日

団地考察(1)

造成直後の多摩ニュータウンを知るための施設

重松清『トワイライト』カバーニュータウンを描いた小説のひとつに、重松清『トワイライト』がある。この物語の舞台は「たまがわニュータウン」の「長山団地」だが、これが「多摩ニュータウン」の「永山団地」をモチーフにしたものであることは、容易にわかる。さらに、主人公の少年が「長山団地」に引っ越してきたときは、交通やインフラの整備が大幅に遅れており、入居者たちは“開拓民”と呼ばれていた…というくだりがあるのだが、このエピソードもまた現実の「永山団地」とそっくりである。

1960年代後半から造成が行われた多摩ニュータウンの中でも、「永山団地」はもっとも早く開発された地区のひとつで、開設当初は陸の孤島と言われていたという。そんな造成当初の「永山団地」の様子を知ることができる施設が、多摩ニュータウンの中枢、多摩センターにある。

多摩市の複合文化施設「パルテノン多摩」内の「歴史ミュージアム」がそれで、永山団地(分譲棟)のパンフレットや、抽選結果の通知はがき、造成当初の写真などが何点か展示されているほか、多摩ニュータウンのことを取り上げた新聞記事のスクラップもある。

団地の窓に、花や動物のシールが貼ってある理由

収集された新聞記事には、造成直後の団地の住みづらさに関する話題が多々取り上げられている。買い物が不便、道路の大渋滞で通勤が非常に不便、押入が狭い、畳にダニが湧いた、電話の開通が間に合わないといった、居住上の不便に関するものから、教員の下宿先が見つけられない、消防署に梯子車が配属されないので、いざというときに備えて、署員は4階建ての女子寮などによじのぼって訓練しているといったものまで多種多彩にある。(訓練のためとはいえ、女子寮によじ登るのはどうなのだろうという気もするが…)

団地の窓に貼られたシール団地内に迷子が続出しているといった記事もあった。同じ形の建物ばかり並んでいるため、自宅に戻れなくなった子どもたちが続出している…といったものだ。迷子を減らすため、子どもたちに識別番号入りの名札をつけたり、住棟の妻部に花の絵を描いたり、窓ガラスにシールを貼る家が出てきたといったといった記述もある。昔の団地を歩いていると、窓ガラスにカラフルなシール(花、動物など)が貼られている光景を何度か目にしたことがあるが、これには迷子対策という意味合いもあったらしい。

一方、プラス面を取り上げた記事には、“引っ越してきてから子どもたちがとっても元気になった”といった記述が見られた。空気の良い郊外で、子どもたちが息を吹き返した様子が伺える。

団地と子ども

ひばりヶ丘団地おそらく団地は、良好な住環境であったと同時に、良好な遊び場でもあったのだろう。住棟のまわりには芝生や公園が広がり、団地を一歩出れば、林や川、造成地帯があるのだから、遊び場には事欠かない。近年の建築物(あるいは開発区域)とは違い、子どもたちの遊びに欠かせない、“アナーキーなスペース”も存在していた。入居世帯の家族構成は均質で、同年代の子どもたちが多く、遊ぶ仲間もふんだんにいる。

団地に暮らす小学生が小田扉『団地ともお』1巻カバー主人公の漫画『団地ともお』や、団地に暮らす子どもたちのエピソードを多数収録した『団地っ子の同窓会』、さらには『滝山コミューン1974』に至るまで、団地生活のエピソードが記された書籍がいくつか発刊されているが、これらの作者が皆、子ども時代に団地を体験しているという共通点に、注目してみる必要があるだろう。かつて子ども時代に団地を体験した人々が、どうしても忘れられない場所として、いま団地を取り上げているという事実をどう考えればよいのだろうか。(「団地百景」や「公団ウォーカー」といった代表的な団地関係Webの管理人の方々もまた、子ども時代に団地を体験しているようである。)

眞形隆之『団地っ子の同窓会』カバーこれは単純に、日本各地に刻を同じくして建設された“団地”という空間で、同質的な体験をした子どもたちが数的に多かった…といった理由だけで説明できることではない。団地に住むということが、少なくとも何らかの形で、彼らにとってある種の“特別な経験”だったということなのではないだろうか?

もしそうであったとするならば、団地生活の一体何が”特別”だったのか?(つづく)

団地を考える | リャマ | 23:40:04 |

コメント (8) »

  1. おおお。リャマさんもかなり研究なさっているようですね。しかも色々な視点から研究なさっていて…公団の資料ばかり漁ってる僕らでは知らなかった事が沢山書かれていて凄く勉強になりました。「団地ともお」は、名前は知っていたものの、読んだことはありませんしね。とりあえず今度、パルテノン多摩にいってみようと思います。

    >団地に住むということが、少なくとも何らかの形で、彼らにとってある種の“特別な経験”だったということなのではないだろうか?

    (参考になるか分からないですが)僕の小学校のころの経験なのですが、防災訓練の集団下校や地区ごとの縦割り班で、必ず僕らは「電電東ブロック」として一つのチームにされていました。このチームに属することに、何か特別扱いされているような感覚があり、妙な優越感がありました。別に電電居住者が偉いわけでもなんでもないのに…。

    あと、小中学生は学年ごとに固まって遊ぶのが普通だと思いますが、団地住民だけは1年生から6年生まで一緒に野球をしていた覚えがあります。学校外での遊び相手は「クラスメイト」より「団地仲間」が多かったのです。

    また、団地外の友人と遊ぶときも、結局電電のなかが一番遊びやすいので、自宅の前の広場まで連れてきていました。あたかも自分の専用庭に連れてくるかのような感覚で、ちょっと偉くなった気分でした。

    ・・・と、こんな感じで子供ながらに色々感じていたんですよね。
    電電東特有の現象かもしれませんが。

    コメント by 公団うぉーかーてるる | 2007/12/18 火曜日 | 0:08:48

  2. てるるさん。おはようございます。
    確かに団地の子どもというのは、はたから見ていると、妙な連帯感(みたいなもの)を持っていたような感じがします。私の小学校の集団下校の班割にも、団地1班、2班といった名前の班があって、こちらは人数が多い。一方、自分の属していた班は学区のハズレの方へと帰る班で、人数も少なめで、なんだかてんでばらばらな感じがしていました。
    公団が団地生活をPRするためにつくった映像をYouTubeかどこかで見たのですが、たくさんの子どもたちが団地内の公園で遊んでいるシーンがある。もちろん作り映像だと思うのですが、それでも、子どもたちが遊んでいる光景をきちんと収録しているところに、注目するべきなのではないかという気がしてきました。現代のマンションは、子どもたちにとっては楽しくもなんともないまやかしのようなプレイロットを用意して、さも家族のニーズに全対応しているようなふりをしてはいますが、実際の所、本当は子どもに住んで欲しくない…といったつくりになっているような気がしてなりません。(酔いがまわっているので少し激しい発言になっておりますが)
    子どもたちと団地という視点から、もう少し団地についての考察を進められればと思っております。

    電電東の事例、参考になります。ありがとうございました!

    コメント by リャマ | 2007/12/18 火曜日 | 6:49:07

  3. >子どもたちにとっては楽しくもなんともないまやかしのようなプレイロットを用意して、さも家族のニーズに全対応しているようなふりをしてはいますが、実際の所、本当は子どもに住んで欲しくない…といったつくりになっているような気がしてなりません。

    私もまさに同じことを思っていました。
    15階建ての壁のような住棟に挟まれた僅かな土地に広がる駐車場の隙間にあるプレイロットなんか遊んでも楽しいはず無いのです。しかもキャッチボール禁止なんていう看板が掛かってたりして。

    最悪なケースでは、そのプレイロットが何とオートロックの内側にあって、まったく役立たずな存在になっているなんてこともあります。やはり経済性重視の民間に出来ることなんてたかが知れてるのですね。

    blogのつづき楽しみにしております。

    コメント by 公団うぉーかーてるる | 2007/12/18 火曜日 | 18:20:27

  4. 始めまして。私は岐阜県の専門学校(岐阜県立森林分化アカデミー)で建築に関する勉強をしています、倉地と申します。建築部材の畳に付いて研究をしています。近年特に床材としての畳は段々使われなくなっているようですが、建築実務家(例えば設計者や施工者)が、畳にカビやダニのが発生しクレームになる事を避けるために、無垢木質材を床に使う事が増えたからだと言われます。この様な転機になった事件が、昭和37年頃、関西の集合住宅でダニの大量発生とか、多摩ニュータウンで昭和40年代(昭和46年3月26日から第1次入居が始まったと記録されていますから、40年代でも終わり頃以降だろうと思います)に
    ダニの大量発生があったと言われています。実際には何年の何月だったのか(湿度や温度の高い夏の時期だろうと思います)ご存知の方がありましたら、お教え下さい。現在では建材ボード床の畳など、湿気に比較的強い畳も開発されており
    お住いの皆様には快適な住環境になっていると思います。若し、関西の事例についてもご存知でしたら、場所と年・月をご教示下さい。宜しくお願いします。

    コメント by 倉地 | 2008/1/23 水曜日 | 20:54:53

  5. 倉地さん。はじめまして。あいにく、多摩ニュータウンで何年何月頃にダニの大量発生があったかについて、手元には資料がありません。
    ただし、そのような新聞記事(たしか朝日新聞で、昭和40年代後半のものだったと思います)のスクラップは、上に記した多摩ニュータウンの「歴史ミュージアム」で確かに見ました。(残念ながら何年何月何日の何新聞の記事かは記憶にありませんが…)

    その記事の内容は、確か次のようなものだったと思います。
    「新たに入居が始まった多摩ニュータウン内の○○団地で、入居から数ヶ月後に畳にダニが大量発生。住民が公団側に要求することで、畳をすべて入れ替えたものの、入れ替えられた新しい畳からもダニが大量発生した。原因は不明だが、大量の畳需要に応えるため、製造工程の一部(畳を干す行程?)などを短縮しているからではないか、といった指摘をする人もいた。」

    他にも多摩ニュータウンからはすこしはずれたところにある別の団地の事例も記事内で紹介されていたような気がします。

    時期としては、
    > 多摩ニュータウンで昭和40年代(昭和46年3月26日から第1次入居が始まったと記録されていますから、40年代でも終わり頃以降だろうと思います)に
    でだいたいあっていると思います。

    もう既にご存知かもしれませんが、
    第059回国会 決算委員会 第8号 昭和四十三年十月十八日の議事録を見ると、団地のダニ大量発生についてかなり詳細な議論がなされているようです。
    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/059/0410/05910180410008c.html
    ここでは鶴川団地の事例が出ているのですが、原因としてはコストの問題で芯まで乾燥しききっていないわらを使っているためであって、そういう畳は以前からの使われていた…といったような話が出ています。

    以上、ご参考まで。

    コメント by リャマ | 2008/1/24 木曜日 | 10:30:34

  6. はじめまして。
    団地についてのテキスト、とても楽しく読んでいたところ
    見覚えのある物件の写真が…びっくりしました。
    このサンルームのみの物件に昨年私も内見に行ったような気がします。

    確かに、あそこは使い勝手的にかなり厳しそうなのと
    環境的な問題も考えて、見送ったのですが。。

    現在、私も多摩(NT)地区の分譲団地に住んでいます。
    洗濯機やネット回線はやはり気になるところですよね。。
    (結局今のところではBフレッツが使えたので助かりました)

    今後もBLOG楽しみにしております。

    コメント by uk | 2008/4/14 月曜日 | 20:09:29

  7. すみません、コメントする箇所を間違えました…
    こちらの記事に投稿しようと思っておりました。
    http://red-ocean.org/danchi/blog/?p=22#more-22

    コメント by uk | 2008/4/14 月曜日 | 20:11:03

  8. ukさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
    サンルームのある部屋、ご覧になったんですね。(あの手の物件は、それなりにあちらこちらにあるみたいなので、同じ団地かどうかはわかりませんが…)
    日射しはよさそうだし、なんだかちょっとアトリエっぽくて、ユニークではあったのですが、そこに暮らすかどうか、という点で考えたとき、難ありって思って私もやめました。
    トータルでバランスがとれている物件に巡り会うまでに、結構手間暇かかる気がします。お住まいの団地は古めなのでしょうか?

    またぼちぼち更新しますので、ぼちぼち覗きに来て頂ければ嬉しいです。
    では。

    コメント by リャマ | 2008/4/14 月曜日 | 23:43:59

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