2008/3/30 日曜日

DVD『団地日和』から考える

DVD団地日和ジャケット昭和30~40年代に造成された公団住宅の今の姿を、じっくりと味わうことができるDVD、『団地日和』が3/7に発売された。本編では、ひばりヶ丘、阿佐ヶ谷、百草、草加松原、海岸通、赤羽台という、6つの特徴的な団地をピックアップ。各団地の外観や、住棟の脇に生えた植物、団地でまどろむ猫などの映像がふんだんに収録されていて、見るだけで団地を散歩している気分になれる。

ところでこのDVDを最大限楽しむには、オーディオコメンタリーをONにしておいたほうがいいだろう。かく言う私は最初見たときオーディオコメンタリーをOFFにしていた。淡々と流れる団地の映像をじっくり堪能でき、それはそれでとても心地よいのだが、正直なところ、若干の物足りなさを感じてしまった。

ところがところが、ひとたびオーディオコメンタリーをONにすれば、コンセプト・コンディショナーの小林氏、公団ウォーカーの照井氏、UR都市機構の土井氏による、ざっくばらんでちょっぴり(?)マニアックなトークが展開される。画面に映し出される窓枠や階段の細かなディティールを目で確認しながら、その特徴や魅力を聞くことができるので、まるでこの人たちに団地を案内してもらっているような気分になる。小林氏や照井氏のコメントを補完するように、当時の背景や設計のコンセプトについて話す、UR都市機構 土井氏の存在も心強い。

特典映像からあふれ出す“公共性”

特典映像も見逃せない。住宅公団の社歌である「住宅公団の歌」がフルコーラスで収録されている。ところで、特に見逃せないのはその歌詞である。全部で4番まである歌詞の、各パートの最後には、かならず次の2行が入っている。

みんなの みんなの みんなの家だ
われわの われらの 住宅公団

多くの民衆に良質な住宅を供給すべく、国によって設立された住宅公団。国が、あるいはこの組織が成し遂げようとした、住宅供給というきわめて公共的な理念が、この2行に溢れに溢れている。たとえ今、UR――都市機構、日本住宅公団の後継組織――の社歌が作られるとしても、これほどまでに直球に、民衆のための家をつくることを宣言する歌詞がつくられることはないだろう。

もうひとつの特典映像が、1960年に日経映画社によって作られた、団地啓蒙映画「団地への招待」である。これは団地生活のマナーやハウツーを啓蒙するために作られた映像で、団地内の施設や設備の紹介はもとより、ゴミの出し方や共同生活のルールなどが紹介されている。映像の尺は約20分。物語仕立てになっていて、来月団地に入居することになった若夫婦(婚約者か?)どおしが、兄弟の家を訪ねるという構成だ。ところで、この映像で最も印象に残ったのは、最後に新妻が語る次のセリフである。

わたくしと彼が 二人して築いていかなければならない わたくしたちの生活

それを素晴らしいものにしていくためには 何よりもまず
この恵まれた施設や設備をどう活かして使うか
わたくしたちはもっともっと考えてみなくちゃ

住みよい家庭を作り上げていくこと
それにはお互いに利害をひとつにする 団地での社会生活を抜きにしては 考えられません

わたくしたちみんなが責任をもって この社会的な生活態度を身につけていかなくちゃいけないのね

共同生活のなかで 私たちの家庭をどう気づきあげるか
彼も わたくしも
自信を持って わたくしたちの生活を作り上げていきます」

何度も何度も出てくる「わたくしたち」という言葉。ここで語られる「わたくしたち」は、“彼”と“わたし”の2人が築いていく家庭のことをさすと同時に、そうした家庭の集合体としての、団地住民全体のことをさしているようにも思われる。

社会的で責任のある、わたくしたちの共同生活――。ここで語られたセリフは、啓蒙用映像にありがちな、建前じみたものだったかもしれない。しかし今や、建前としてですら、このような言葉は、ほとんど聞かれなくなっている気がする。「わたくしたち」という言葉はもはや、“わたし”を中心とした、ごく狭い範囲のことしか示せない言葉になってしまったのではないか。

「わたくしたち」という言葉に宿る力を、自然な形で、取り戻すことはできないだろうか。かつて「わたくしたち」という言葉が普通に存在していた(であろう)団地で、「みんなの家」になることを目指して造られたこの場所で、「わたくしたち」とは一体誰のことなのか、考えてみようと思う。

団地を考える | リャマ | 1:07:02 |

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